スポンサードリンク

チャーリーとチョコレート工場

 

 

ティムバートン監督「チャーリーとチョコレート工場」。

 

 

テンポ、話の纏まり具合、色遣いのセンス。どこをとっても素晴らしい出来で賞賛に値する部分を挙げれば枚挙に暇がない。 この映画が好きすぎて大学を卒業した後にはチョコレート工場に就職しようと考えていた時期もある程だ。一生この映画だけしか見れないノロイにかかっても何ら苦にならない。

 

そんな愛して止まない「チャーリーとチョコレート工場」なのだが残念ながらこの映画に対して1つモノ申したい事がある。 それはチャーリーの処遇についてだ。 集められた5人の子供の内、チャーリーを除いて4人は工場内でとんでもない目に遭わされてゆく。その内の2人はチョコでコーティングされたり、生ごみが付着したり取り返しのつく被害に留まっているのだが、他の2人は体の色が紫になったり、体がペラペラになったり、その後の人生に甚大な影響を及ぼすレベルの災難に見舞われている。

 

アレはそれぞれの子供が持っている欠点を正すためのオシオキ的意味合いの描写である事は理解できる。しかしだ。だとするならば他人が落とした金を勝手に拾い、何食わぬ顔でそれを使用してチョコを買い、ゴールデンチケットを欲しいがままにした強欲クソガキチャーリーに何のお咎めもナシなのはどう考えてもおかしい。

 

チャーリーというキャラクターは如何にも無垢で清廉潔白な貧乏人として振舞っているがその実態はまるで違う。彼にはおおよそ「子供らしさ」というモノが存在しないのだ。 この映画に出てくる「チャーリー」というキャラクターをよくよく観察していれば「芦田愛菜」や「寺田心」と同様、年若くして大人の世界で経験を積み、自分にどんな立ち居振る舞いが求められているのかを熟知した上で子供っぽいフリをする「造られたコドモ感」が隠しきれずに滲み出ている事がよく分かる。この映画のチャーリーはそんな「コドモ大人」であり、こういう輩は表面上だけ善人ブッてはいるが実際のトコロはありとあらゆる事を見下し、世の中を舐め腐っているタイプの人間だ。 そんな経験豊富なチャーリーはどういう風に振舞えばウォンカに取り入る事ができるかを良く知っていた。恐らく「一人だけ貰える特別賞」というモノがウォンカの全資産である工場だという事にもチョコレート工場に入る時点で概ね気づいていたのであろう。

 

それ故のあの素朴な子供っぽい立ち居振る舞い。最初から最後まで全てはチャーリーの手の平の上で進行していたチョコレート工場を手にするための計画通りのシナリオだったのである。 あの映画はチョコレート工場の華やかさを見る映画ではなく、そんな「チャーリーの悪どさ」に注目して鑑賞をするのが本来の見方だ。 もしオレが工場長ならチャーリーだけは必ずボコボコにする。

 

 

 
 
ジョニー・デップ ワーナー・ホーム・ビデオ 2010-04-21
 
映画/ドラマ
スポンサードリンク
whiterabbitをフォローする
White Rabbit Entertainment

コメント